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Twitterに絵を上げるといいねやRTの数が気になってしまう…数字は「○○の数」という考え方 - すずおりデザイン

Twitterに絵を上げるといいねやRTの数が気になってしまう…数字は「○○の数」という考え方

絵や漫画、小説などの作品をTwitterにアップしてもいいねやRTがもらえず悩んでいる方っていらっしゃると思います。私もそのひとりでした。なかなか見てもらえないし、いいねもあまりつかないまま。私の描く絵って無価値なのかな……と悩んでしまい、絵を描くのが嫌になってしまった時期がありました。今回は同じように悩んでいる方に向けて、数字にとらわれず、心を穏やかに保つ考え方についてお話していきます。

どうしても気にしてしまう、いいねやRTの「数」の魔力

TwitterのいいねやRTの数って、やっぱり気になってしまいますよね。私も絵をアップした後はどのくらいいいねやRTが貰えているか、つい数字を目で追ってしまいます。

なかなか数字が伸びないでいると、いいねやRTの数を見ては「あぁ、自分の作品には価値がないのかも…」「今回の絵は上手く描けなかったかもなぁ…」「やっぱり下手だからかなぁ…」といったマイナスな考え方をしちゃうんですよね(そうは思わないよ、という方はその考えのままで大丈夫ですし本記事は読まなくても大丈夫かと思います!)

逆に、多くのフォロワーを抱えていて5000や10000といった数字をたくさんもらえているにも関わらず、「同じ界隈の人と比べたら私は全然いいねをもらえてない…」と嘆く方もいらっしゃいます。

なぜこのような気持ちになってしまうのでしょうか?

数字は承認欲求を満たしやすい

心理学者アブラハム・マズローの唱えた「マズローの欲求五段階説」というものをご存知のかたも多いかと思いますが、Twitterの数字を気にしてしまうのは4段階目にあたる「承認欲求」からくるものです。承認欲求とは自分の存在を知ってもらいたい価値ある存在として認められたい、といった欲求で、他者から尊敬されたり注目されることで満たされます。

参考:自己実現理論(Wikipediaより)

数字が大きいと自分の作品が注目され、認められたような気持ちになれますよね。無意識で「どうしたらいいねやRTをたくさん得られる作品が作れるか」、ということのために作品を描いてしまってはしませんか?承認欲求が満たされやすい数字に固執するあまり、自分の本当に描きたいものを見失っているのかもしれません。

数字には終わりがない

あなたの作品をいつも見てくれている人が一定数いると分かっている場合でも、数字を気にしてしまうせいで「全然見てもらえてない」と思ってしまい、常に上を求めすぎてはいませんか?

100いいねもらえたら次は500いいねが欲しいし、1000いいねもらえたら次は5000いいね欲しい。10000いいねもらえたら次は20000いいね欲しい……と、数字には終わりがなく、欲求は際限がありません

常に高い数字を求めてしまうと、自分の求めている数値よりも低い場合、承認欲求が満たされず「自分の作品には価値がない、つまらない」と思い込んでしまいがちです。

数字は人と比べやすい

10点と100点なら100点取った人の方が優秀だと思いますよね。数字で表現することにより、簡単に優劣がついてしまうんです。いいねやRTといった数字で表されることで、人と比べて数字が少ないから「自分は劣っている」のだと思い込んでしまいがちです。

あるいは、自分は多くのフォロワーがいるのに、それに見合ういいねがもらえていないとか、自分よりもフォロワーの少ない人の作品の方がいいねが多く付くことに嫉妬してしまったりします。

数字は人と比べやすいため、一種のステータスかのように数字を求めてしまうのかもしれません。

数字は作品の価値ではなく「共感の数」と考えてみよう

そんなTwitterの示す数字とどのように付き合えばいいのでしょうか?私がおすすめするのは、数字は「共感の数」だと考えてみる、という考え方です。

人は作品に「共感したとき」いいねやRTをしている

たとえば自分の推しキャラが誕生日を迎えて、そのバースデーイラストを描いてTwitterに投稿したとします。それに対していいねやRTをしてくれるのは、同じく推しのことをお祝いしている同志たちですよね。推しの生誕を素敵にお祝いしてる素晴らしい絵だな〜と思っていいねしてしまうし、記念日だから他の人にも共有したいな〜と思ってRTをしますよね。

その作品に「共感したとき」に、人はいいねやRTをしているんですよね。

いいねやRTの数は「作品の価値」を決めるものではない

数字が低いから作品に価値がない、数字が高いから価値がある、という考えをしてしまうと、どんどん苦しくなってしまいます。

自分の話をさせていただきますと、むかし、とあるジャンルのファンアートで初めて1000いいねを超えられた絵を描けたことがありました。結構適当に描いた落書きだったんですが、その時はすごく嬉しかったです。じゃあ次はちゃんと色も塗って時間もかけて丁寧に描いたらもっと見てもらえるかも!と意気込んで、渾身の一枚を投稿しました。しかし、その絵は200いいねほどで、落書きを超えるいいねの数は付きませんでします。。

今となっては200いいねでも十分嬉しいと思えるんですが、当時の私は、「たったの200いいねだったのか…つまらない絵だったのかな…」という感想を抱いていました。適当に描いた落書きの方に価値があって、時間をかけて描いた絵は価値がないんだと、当時はへこんでしまい、段々絵を描くのも億劫になってしまいました。承認欲求を数字に求めてしまっていたのだと思います。

このように、作品の価値を数字で決めてしまうと、その数字の結果によっては自分が傷つく可能性があります。

共感してくれた人が存在することに気付くと素直に喜べる

いいねやRTの数字を「共感してくれた人」の数だと考えると「今回の絵はちょっと自信なかったけど、でも絵に共感してくれる人がいてくれるから描いて良かったな☺️」とポジティブな気持ちになれるというか、数字の多い少ないに関係なく、見てもらえることに対して素直に喜べるようになりました。

その感情の中には人と比べて悔しい気持ちや、もっと多くの数字が欲しいという欲望はありません。絵を見て共感してくれた人が存在するんだ、ということが単純に嬉しく思えます。

数字を「作品の価値」という目に見えない曖昧なものから、「共感してくれた一人ひとり」という存在としてとらえることが、数字を気にせずに心を穏やかに保つために大切な考え方のひとつじゃないかと、私は思っています。